25年
というと、四半世紀や銀婚式など、一つの区切りとなる数字なんですね。
実は、当店が開店して、今月1日で丸25年となりました。
11月1日の1並びの日に開店したのが25年前。
ワタシはまだ30代でした。
大阪日本橋にある高津理美容専門学校を出てから、難波にあるお店に就職しました。
そのお店のオーナーは、専門学校の講師もしている方でした。
身内に、この仕事をしている人が皆無のワタシは、理美容界のならわしや基礎知識がゼロだったので、そのお店の体質や考え方が、この業界のスタンダードとなりました。
就職した当初は、地域の業界の勉強会などに参加することがありましたが、他店の人と親しくなることはなく、他のお店がどのような教育システムなのか、どのような考え方で営業しているのかを感じる機会は、ほぼ、ありませんでした。
修業時代の終盤は、いわゆるバブル景気で日本中が浮かれている時代。
色んなお客さんがいたので、町店では経験できないようなことをたくさん経験させてもらいました。
今でも話のネタになることがいくつもあります^^
30代になった頃、オーナーに独立したいと申し出て、実現したのが34歳のときでした。
独立に必要なのは経験や技術はもちろんとして、条件が揃わないとできません。
色々とある条件の中で、最大の問題は独立資金でした。
実は、独立に向け、店舗付き住宅を買おうと考え、動いたものの、バブル終盤の時代ですから、何せ高かった。
不動産屋さんに紹介されたところを何軒か見て回り、ここならと思ってローン申請したものの、通りませんでした。
手持ち資金があまりに貧相だったことが、ローンが通らなかった理由の一つだろうと考えています。
仕方なく、住んでいた借家のガレージだった所を店舗として利用させてもらい、開店するに至ったのです。
この年になって思うのは、さきほど書いたように、親類縁者にこの業界の人は皆無の状況で、よくやったよ。ということ。
というのも、独立した後に知り合った同業の方のほとんどが、二代目や三代目なのです。
特に、理容室はこのような傾向が強く、こんな世界だったのかと、独立してから知ったのでした。
若かったので、今ほど怖さを知らなかったのが良かったとも言えますね。
そんなこんなの25周年当日。
同級生が経営している炭火串焼きのお店に行って、ゆっくりしようと考えていたのに、そうはさせてくれませんでした。
昼過ぎに親の世話を済ませ、用事を済ませてから、友達のお店に行こうと思ってた午後3時過ぎの事。
お袋から電話が入った。
「カーペットの皺を直したらテレビが映らんようになったから、直して」と。。。
こんなことが、年に何度もあるが、たいてい、用事が詰まっているときに急な連絡をしてくるのです。
直すのは夜でもいいからと言うものの、8時前には寝てしまうので、それまでの夜、言い換えると、夕飯までに映るようにして。という意味なのです。
同級生の店は大阪市内で、電車で40分ほどかかる場所にある。
電話を受けたのは大阪市内。
大阪市内から電車に乗って東大阪に戻り、映るようにしてから、また大阪市内で用事を済ませ、店に行くのは不可能でした。
結局、自分の用事は後回しにして、テレビの修理をしにいったのでした。
状況を見てみると、単純にアンテナ線のつなぎ間違い。
カーペットの皺を直すとき、壁から出ているアンテナ線を抜いたというので、接触不良かと思いきや、なぜか、DVDレコーダーとテレビをつないでいるアンテナ線も抜いていたのでした。
DVDとテレビをつなぐアンテナ線を、テレビのVHFとUHFの端子に差し込んであったのです。
そもそも、床に触れるような位置にあるわけじゃないのに、なんで、このアンテナ線を抜くかな。。。
「なんで、この線を抜いたん?」
と親父に聞くも
「そこは抜いてない」
の一点張り(*´Д`)
作業中、「今度からアンテナ線は抜かんようにせんとあかんな」と、80半ばの両親の会話。
『抜いてもええけど、元に戻せるようにしてから抜いてくれ。』と言いたかったのをぐっと堪えたのでした。
そんなこんなの修理の後、友人の店に向かったのです。
近鉄針中野の駅から歩いて2分とかからない場所にある『炭火串焼まっちゃん』が同級生のお店。
ここでのんびり、ゆっくりしようと思っていたのに、テレビアンテナ問題があり、用事が残ってしまったので、お店にいたのはわずかな時間でした。
わずかな時間でしたが、一人で行ったので、25年を振り返る時間はありました。
20代のころ、店の近くにあった焼き鳥屋さんによく行っていました。
このお店のオーナーのまっちゃんが、一時期、そのお店の従業員として仕事をしていたのです。
最初に顔を見たとき驚きました。何せ、中学校を出て以来でしたし、まさか、自分が行きつけの店で会うなんて、予想すらしませんでしたからね。
この焼き鳥屋さんで、友達と独立してからの夢なんかを話し合っていたのです。
若いころからのことを振り返るには最適だったので、このお店に来たかったのでした。
誰の役にも立たないブログを書いてしまいましたが、26年目に突入した当店を、よろしくお願いします。
以上
東大阪のヘアーサロン
オーパス21の前田でした
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