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お通夜と葬儀告別式で急な連休となった話

葬儀
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先週水曜日の午前1時9分

携帯電話が鳴りました

「前田さんのご家族様ですか、お父様の心臓が止まりかけています。病院に来ることはできますか?」

3か月半ほど深夜に電話が鳴ることを恐れていたので、『ついに来てしまったか』という気持ちだった

 

「何分くらいかかりますか?」

と問われたので

「30分くらいかかると思います」

そう応えると

「もしかしたら間に合わないかもしれないのでお伝えしておきます」

 

急いで着替え、母を車に乗せ病院に向かう

道中『落ち着け、落ち着いて』と何度も自分に言い聞かせながら運転した

 

到着したのは約20分後のことだった。

5階病棟にエレベーターが止まり、ナーススーションに向かうと看護師さんが慌てて出てきてこう言った

「心臓が止まってしまいました」

一瞬、膝の力が抜け、しゃがみ込みそうになりつつ、案内された病室に向かう

父にはまだ医療機器が取り付けられていて、モニターには心臓が止まっていることを示す直線が表示されていた

 

父は肺の半分ほどに水が溜まっていて、呼吸がしにくくなっていたため酸素吸入を続けていた。

ベッドで横になっている父には酸素吸入のチューブがつけられている

さらにはマスクもしている

呼吸がしにくく酸素吸入をし、心臓が止まりかけている人にまでマスクをする必要があるのかと少しの怒りを感じた

眠っているような父に「苦しかったやろう」と語りかけながらマスクを外した

 

ワタシは昨年、喘息を患った

症状がひどく、呼吸がしにくいときはマスクなんて、できないのを経験している

この経験から苦しかったに違いないとしか思えなかったのだ

 

体を触ると、まだ温かい

ついさっきまで頑張っていたことが分かる

会話はできなくても、耳だけは聞こえていると聞いたことがあるので、息のあるうちに『今までありがとう』と伝えたかった

これは母も同じだったようで

「よう頑張ったね、ありがとう ありがとう」と、顔をさすりながら何度も語りかけていた

 

ワタシたちが到着してから5分ほど経った頃、子供たちが到着した

まだ温かい体や手をさすりながら

「おじいちゃん来たよ! 目を開けて」

大きな声で呼びかける

 

心臓の鼓動が止まり、計器のモニターに出ている直線

涙する家族

テレビで見たことのある光景だ

当事者ではなく、第三者のような気持ちになっている自分がいた

 

これからしなくてはいけないことが頭の中に渦巻いていたのが、その理由だった

家族が少し落ち着いたころ、当直の医師が病室にやってきて、正式に臨終を告げた

その後、看護師さんが「お体を綺麗にしてさしあげたいので、1階の待合でお待ちいただけますか」と告げた

それと同時に

「葬儀をする場所は決まっていますか、決まっていないならリストがあるのでお渡しできます」

話には聞いていたが、こんなに急かすんだと思った

 

「考えているところはありますが、まだ決めていません」

このように応えると

「決まったらすぐに教えてください」と言われた

 

家族はエレベータで1階まで降りたが、ワタシは階段で降りることにした

父が入院してから、この三か月半ほどの間、階段を何度も上り下りして見舞いにきた

降りるのは何度目かなと、答えが分かったところでどうにもならないことを考えながら降りた

 

エレベーターの到着が遅かったので、扉の前で待っていた

扉が開くと、両脇を2人の孫に抱えられた母が出てきた

 

母を座らせた待合の椅子は、父がこの病院に運ばれてきたとき、そこで待つようにと言われ、最初に座った椅子だった

 

言葉が出ず、放心状態にある母に孫たちが話しかけ、元気づけようとしていた

「大丈夫やで」と母は応えるが、誰が見ても大丈夫ではなかった

 

考えていた葬儀社は、午後5時から翌朝8時までの間に搬送車を使った場合、約5万円の費用がかかることになっている

また、葬儀社に連絡を入れるにしても、お坊さんとの打ち合わせをしないと、葬儀日程が決められない

 

しかし、式場は一組だけの場所なので、もし、先に予約が入ると数日先延ばしされてしまうかもしれない

こんなことが頭をめぐり、どうしようかと迷っていた

 

一度頭をリセットしようと思い、近くににあるコンビニに行き、飲み物などを買ってくることにした

コンビニから戻ってくるまで時間は15分ほどだった

その間に、1階の待合に看護師がやってきて

「葬儀社は決まりましたか?」と聞いてきたらしい

 

考えがまとまらないまま、2時間ほど経った頃、遠方にいる弟が病院に到着した

間に合わなかったことを伝え、病室に案内した

 

ほどなくして弟が1階の待合に戻ってきたとき

「葬儀屋決まったかって聞かれたぞ」と口にした

やはり急かされている

 

とりあえず葬儀場だけ押さえよう

そう思い電話を入れた

 

葬儀場は利用可能なので、お迎えの車を向かわせますと告げられ電話を切った

しばらくすると折り返しの電話があり、父を乗せる車が午前4時ころ到着しますと告げられた

 

午前4時頃車が到着すると、ベッドに寝ている父が病室から運び出され、病院の裏口から出て車に乗せられた

東の空が少し白んできていた

 

葬儀場に到着すると、安置する部屋まで手を貸してほしいと言われた

部屋に布団が敷かれ、そこに父が寝かされた

簡素な祭壇が置かれ線香が炊かれた

 

葬儀の担当者が来るのは、朝、8時半ころになります

と告げて、送迎担当者は帰っていった

 

葬儀

 

翌朝、担当者から電話が入り、予定が決められていった

通夜は翌日、葬儀は翌々日になった

一日の猶予ができたことが、後になってみるとありがたかった

この一日で、いろんなことを決めることができたのだ

 

あらかじめ事前相談に行っていたが、いざその場になると、やはり慌てるし焦るのだ

すぐに通夜になっていたら、こんな余裕はなかった

 

本当に身近な人だけで行った通夜と葬儀

義理で来ている人がいないと、気持ちが少し楽なのだ

 

葬儀が終わって自宅に戻ったとき、遠方から来てくれた伯父が、あそこ(葬儀場は)快適だったなと口にした

葬儀場が快適と感じることが良いのか悪いのか分からない。

でも、苦痛に感じていなかったことが分かってほっとした気持ちになった

 

これからしばらくは、力が抜けている母親の面倒をみなくちゃいけない

仲の良い夫婦だったので、元に戻るまでしばらくかかるだろうと思っている

 

こんなことで、先週、4日間休ませてもらいました

ご迷惑をおかけしました

 

ただ、来月もまた連休があります

生まれ故郷の九州へ戻りたいと生前言っていた父の願いを叶えるため、四十九日にあたるころ、納骨へ行くことになりました

これに合わせ、母が行きたいと願っているところへも連れて行く予定にしています

休みが多くなりますが、どうか、よろしくお願いします

 

以上
東大阪のヘアーサロン
オーパス21の前田でした

 

 

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