前回のブログでは2023年の夏休み、四国香川で食べたうどんや尾道ラーメンなど、麺食い一人旅のことを書きました。
今日は、この続きとなる、香川から瀬戸大橋を渡った岡山県の倉敷について書いてみます。
倉敷へ行ったのは約40年ぶり。
生まれ故郷の熊本に行くとき山陽自動車道で通る倉敷インターチェンジ、また、講習で出かけた岡山市など、近くに行ったり通ることはあったんです。
でも、アイビースクエアや大原美術館のある美観地区のあたりに行くことはありませんでした。
今回の倉敷では40年の年月を経た変化を衝撃をもって体感しました。
それはさておき、見てきた様子を写真で紹介してみます。
倉敷川を手漕ぎの船で遊覧する「くらしき川船流し」
アイビースクエア
アイビースクエア内にあるモネのアトリエから株分けされた睡蓮
大原美術館
なまこ壁の路地
風情のある裏道
もう一度「くらしき川流しの船」
土産物屋が並ぶ通りは、海外の観光客の姿も多く、たくさんの人で賑わっておりました。
町を歩いていてイイなと思ったのは、電柱がない事でした。
お店が並ぶ通りが縦横にあり、まっすぐの道、曲がった道、大小の道がありました。
これらのどこを通っても電柱が無い。
電柱も電線もないので空が広い。
40年前に倉敷に行ったときカメラを持っていなかったので当時がどうだったのか分かりませんが、電柱はあったような気がするんです。
何か調べるものはないかと思ううち、グーグルマップで過去の写真を見ることができるのでは?
と思い調べてみると、おそらく現在進行形で電柱を撤去する取り組みが行われていることを知りました。
まずは2010年の写真を見てください↓
電柱と電線が見えますね。
次に2014年の写真を見てください↓
電柱が消えています。
ただ、通りの奥はまだ電柱と電線が残っています。
次に2021年の写真を見てください。
通りの奥の電柱は残っていますが、電線は消えています。
この部分に近寄った2020年の写真を見てください↓
次に2021年の写真
電柱の上にあった変圧器? のようなものが消え、電線も減っています。
このあたりのグーグルマップを見てみると、2010年は電柱、電線が見えるのです。
その後データが2014年まで空いているのですが、2014年には電柱、電線が消えている場所が多く見られます。
この間に大きな取り組みが行われたことを記録していることになりますね。
40年前から倉敷に対する情報のアップデートをしていなかったことが悔やまれました。
今回は香川のうどんから尾道ラーメンの間にちょっと寄り道するだけと考えていたのです。
通り道に立ち寄るだけじゃなく、倉敷をメインにしてくる価値があると感じました。
40年の間の変わりようは、大衆に迎合しているとも言えます。
しかし、この変わりようを見ると、たくさんの人に訪れてほしいという地元の方の地道な努力が、この良い街並みを作ったんだと感じ入ったのです。
40年前の岡山倉敷
ここで、このブログを終わるつもりでした。
でも、ここまで何度か書いたように40年前に倉敷に行ったときのことを思い出したので、ついでに書いてみます。
今から約40年前のことです。
仕事が終わってから地元に帰り、一人の友達と食事をしている時でした。
二人とも翌日が休みなので、どこか遊びに行きたいな。となったんです。
のちに合流する友達が来る前にその話で盛り上がり、行き先は岡山の倉敷となりました。
電車で行くには時間が遅すぎたので、交通手段はレンタカーを使うことになりました。
その後、あと一人がやってきたので、その話をしました。
三人目の友達は翌日は仕事なので、その友達の食事が終われば出発する予定だったのです。
しかし、その友達は「俺も倉敷へ行く」と言い出しました。
新倉敷始発の新幹線に乗ったら仕事に間に合う。というのがその理由です。
当時は当然、スマホもネットもない時代。
しかし、先にいた友人が鉄道好きで、時刻表が愛読書。
その彼がこんな提言をしたもんですから、行くと言い出したのです。
三人目の彼はいったん自宅に戻り、スーツを着てビジネスバッグを持って戻ってきました。
それから大阪難波に移動し、深夜まで営業しているレンタカー屋に行き、車を借りました。
車種はディーゼルエンジンの「いすゞ・ジェミニ」。
車で遠出するのがこれが初めて。
ましてや夜だったので、不安がゼロじゃありませんでしたが、なにせ若かった^^
当時は山陽自動車道はなく、阪神高速で西に向かい、あとは下道と「岡山ブルーライン」。
このブログを書くにあたり調べてみると、「岡山ブルーライン」はまだあるんですね。
とりあえずの目的地である倉敷駅に到着したのは明け方近く。
お腹が空いたので何か食べたいのですが、当時は24時間営業の飲食店はなく、コンビニもない時代です。
お腹を空かせたまま、三人目の友人が大阪に戻る新幹線に乗るため、新倉敷の駅まで向かいます。
その道中、喫茶店を探し目星をつけていました。
新倉敷で、三人目の友人を見送った後、目星をつけていた喫茶店でモーニング営業をしている所を探すうち、開店しているお店を発見。
まったく寝ずに倉敷までやってきた早朝のコーヒとトーストは美味かった。
その後、美観地区に行き、ブラブラ街歩きを楽しんだのです。
40年前は土産物店などは倉敷川沿いに集中していて、他には倉敷駅に向かう道路に土産物屋さんがある程度でした。
倉敷川のある通りから一本裏に入ると、地元の方の普通の生活感のある町だったのです。
しかし今は、一本どころか二本裏の通り、そこに至る細い路地にまで土産物屋、飲食店が並んでいます。
土産に「ぽっぺん」を買ったのを記憶しているけど、どこにいったのか分かりません。
帰路は中国自動車の津山まで行き、大阪に戻ってきたのですが、当時のディーゼルエンジンはうるさくてうるさくて、車内で会話するために、大声を張り上げていました。
普段、大声を張り上げることを数時間続けることはありませんよね。
最初は難儀やなと思ったものの、それが段々面白くなっていき、今でも友達と、この時の話をすることがあります。
カメラなんて持っていないので、写真の一枚も残っていませんが、この時の思い出は記憶に刻まれています。
以上
東大阪のヘアーサロン
オーパス21の前田でした
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