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カヌーイスト野田知佑さんを想う

野田知佑さん「川へふただび」
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日本のカヌーイストの草分け、野田知佑さんが、2022年3月27日徳島県の病院で、84歳で亡くなられました。

これはショックでした。

 

読書熱が高かったのが19歳から40代の頃でした。

野田さんの本は20代の後半に読み始め、その著書から男として生きる理想の姿を感じ取っていました。

男としての理想の姿は冒険家の植村直己さんにも感じていて、このお二人はワタシにとって巨塔なのです。

 

このブログを書くため、野田さんがお生まれになった場所や亡くなられた日などを整理していて驚いたのは、ワタシの直近の行動が、お生まれになった場所と重なっていたことでした。

先月の末に九州に行ったのですが、宿泊する場所が変更になったことなどで、野田さんの足跡を辿るようになったことを不思議に思っています。

このことは後述します。

 

 

野田知佑さんの本で初めて読んだのは『のんびり行こうぜ』でした。

 

この本をきっかけに、当時発行されていた野田さんの本はほとんど読みました。

店に置いている本棚の中に残っていたのは『川へふたたび』。

 

「川へふただび」

 

 

これらの本がキッカケで、折り畳み式のカヌー、『フジタカヌー KG-1』を買いました。

『フジタカヌー KG-1』はファルトボートとも呼ばれるもので、畳んで背中に背負えるカヌーです。

 

フジタカヌー

 

写真が小さいでしょ。

その理由は、店のホームページを作り始めたころの2017年、HPコンテンツの一つとしてカヌーのページを作っていた時のものだからです。

当時はインターネット環境が今ほど整っておらず、写真のサイズを削ってページ容量を小さくしないと表示が遅くなってしまうため、こんな写真を使っていたのです。

作り直せよ。という声が聞こえてきそうなので説明させてもらうと、これらの写真を撮って保存していたHDDがクラッシュしてしまい、写真がなくなってしまったのです…

これは、サーバー上に残っていたものを貼り付けています。

 

それはともかく、このカヌーで主に奈良、和歌山の川を下って楽しんでいました。

まだ子供が小さいころだったので、遠出することもかなわず、一番遠い遠征は長良川でしたが、その時の様子は鮮明に覚えています。

 

ただ、残念ながら写真がありません。

川下りですから、水に濡れます。

また、装備を軽くしたいという理由からカメラを持っていくことはなく、写真がないのです。

フジタカヌー

 

野田さんが亡くなられたことがYahooニュースのトップページに出たことは、ファンとして驚きとともに、ちょっと誇らしい気持ちになった部分もありました。

カヌーイスト・作家の野田知佑さん死去 84歳 愛犬「ガク」と各地を旅 著書「日本の川を旅する」など

 

このニュースのコメントを読むと、椎名誠さんの本がキッカケで野田さんを知った方が多いような印象でした。

ワタシは逆で、野田知佑さんの本を読んでいるうちに椎名誠さんを知り、椎名さんの本を読むようになり、一度、公演を聞きに行った経験もあります。

 

 

野田さんは1938年(昭和13年)熊本県玉名郡でお生まれになってます。

熊本県でお生まれになったことは知っていて、ワタシも熊本生まれということもあり、単純に親近感を持っていました。

ただ、玉名郡で生まれたことまでは知りませんでした。

 

その熊本に、先月、行く機会がありました。

福岡で母方の祖母の法事があり、当初は、福岡に宿泊する予定だったのですが、色々な事情が重なり、熊本県の山鹿という温泉地に宿泊することになったのです。

祖母の法事のついでに、いくつかの墓参りもする予定で、その中に熊本県も入っていたのですが、山鹿に行く予定はなかったのです。

 

この法事に、84歳のワタシの父も行きたいと言い出したことで、法事を行う親せき家族、ワタシの家族に緊張感が生まれました。

親父が79歳の時に心臓を悪くして、それ以降、体調がすぐれず、遠出することは不可能になっていたからです。

毎年、冬になると体調を壊し、入退することもありました。

昨年は気温が高くなっても体調がすぐれず、ついには、自分が死んだ後のことを頼むと、毎日のように聞かされました。

 

その親父が、この冬はとても寒かったのに、心臓を患って以降、初めて、体調が(悪いなりに)安定していたのです。

そのこともあり、九州に帰りたいと言い出しました。

親父は宮崎の生まれですが、青春時代を熊本と福岡で過ごしています。

 

そう言われると、親父の希望を叶えてあげたい。

そう思い、ワタシは当然のこと、九州の親せきも、その方向でたくさんの対策をしてくれました。

多くの目で見守ってくれ、配慮をしてくれたおかげで、無事に行って、帰ってくることができました。このことには感謝しかありません。

この親父の年齢が、亡くなった野田さんと同じ84歳なのです。

 

親父と同じ年齢。これが一つ目の不思議。

そして、先に書いた熊本県の山鹿温泉に泊まったことが二つ目の不思議。

 

野田さんが熊本県玉名郡でお生まれになったことは先に書きましたが、山鹿温泉に向かうルートで、玉名郡を通りました。

下のグーグルマップの443号線です。

 

 

山鹿市は玉名郡の隣町で、両方の町に菊池川が流れています。

野田さんは、この菊池川もカヌーで下っていて、本にも書かれています。

 

山鹿で泊まった旅館が、その菊池川の川沿いに建つ場所でした。

残念ながら、菊池川を眺める部屋ではなかったのですが、河原に咲く菜の花と、土手に咲いている桜を見るため菊池川に行き、その景色を長い時間眺めていました。

 

菊池川

 

菊池川

 

菊池川。

この川を野田さんが下っていたんだな。

と思いながら川を眺めたというと、嘘のように聞こえるかもしれませんが、本当の話なのです。

 

菊池川

 

野田さんが亡くなったのは3月27日。

その3月27日に菊池川を眺めていたのです。

これが3つ目の不思議なことでした。

 

ぶっきらぼうで無骨、一人旅が好き。

先に書いた植村直己さんも単独での冒険を好まれました。

今にして思うと、一人旅が好きになった理由は、この方たちの影響かもしれません。

 

野田さんの本で知った、日本人と欧米人の考えかたの違い、自然との付き合い方、人としての生き方などなど、自分の思考に大きく影響しています。

亡くなられる前、知りたくなかったような状態になっていたことを知り、それもまた、人としてあり得ることなんだと教えてくれたように感じています。

ご冥福をお祈りいたします。

 

以上
東大阪のヘアーサロン
オーパス21の前田でした

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